東京オリンピック、盛り上がってきましたね!

春馬くんのインスタとWieboはアーカイブ化せずに継続ですって!
やったね!ヾ(*´∀`*)ノ






今日は『太陽の子』監督のインタビュー記事から。

黒崎監督もさぞかし悔しかったろう。
こんなに素晴らしい役者を失ってしまうなんて。
春馬くんがどんな風に『太陽の子』に向き合ったのか、
その断片が知れる記事だった。
胸がギュッとなるけど、
やっぱり春馬くんという人は丁寧で誠実で前向きな人で、
また撮りたいと強く思わせる特別な役者だということがはっきりわかる。
今後の活躍、黒崎監督とのタッグも見たかった。


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(引用掲載)
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 黒崎氏が三浦さんと最後に会ったのは、彼が亡くなる10日前の昨年7月8日だった。  広島市のNHK広島放送局で、映画に先だって公開されたドラマ版「太陽の子」の完成披露試写会だった。キャストの有村架純(28)、柳楽優弥(31)も出席した。 「春馬君は僕に『とっても大切な作品ができました』と話してくれました。僕も『これからどうやってお客さんに届けて行くか、一緒に頑張っていこう』と答えました。春馬君は元気そうで、いつもと変わらない、エネルギーの塊のような感じでした。お互い、帰りの飛行機の便が違っていたので、『またね』と広島の会場で別れました。それから8日後、亡くなったと聞いて衝撃を受けました。春馬君をまた撮りたいなと強く思っていたんです。それだけに、心に血が流れるような、本当につらい思いでした」  黒崎氏は現役のNHK職員だ。肩書は、NHK制作局<第4制作ユニット>ドラマチーフ・プロデューサー。大ヒットした朝の連続テレビ小説「ひよっこ」や現在放送中の大河ドラマ「青天を衝け」など、数々のヒット作品を手がけてきた。  そのなかでも、「太陽の子」は黒崎氏が脚本と演出を担当。特に思い入れの強い作品だった。 「映画を最初につくって、それを編集してドラマ版をつくったんです。もともとは映画が完成形なんです」

映画とドラマはそれぞれ違う視点から描かれるという。  広島市でのドラマ版の制作発表から1年たった今年7月7日。映画版の完成披露試写会が開かれ、舞台あいさつに俳優の柳楽優弥、有村架純、國村隼(65)、黒崎氏が登壇した。

「本当なら春馬君もあいさつに立っているはずでした。映画のお披露目という席なのに、春馬君と一緒に立てないということがとても悔しかった」 「映画 太陽の子」は太平洋戦争末期の1945年の夏、実際に存在した「F研究」と呼ばれる日本の原爆開発研究に従事する学生たちを中心に、戦争に翻弄される若者たちを描いた青春群像劇だ。柳楽は原爆開発に没頭する科学者・石村修を演じた。三浦はその弟・裕之として、戦地から一時帰還した軍人を熱演した。兄弟2人と幼なじみの朝倉世津の役を有村が演じた。  黒崎氏は三浦さんを作品で起用するのは初めてだった。 「まだ映画ができるか決まっていない段階で、脚本を春馬君に渡したんです。そうしたら、すぐに春馬君から『ぜひやりたいです』という返事をもらいました。春馬君は『絶対、撮影して映画として実現しましょう』と背中を押してくれたんです。映画化が決まると、春馬君は断髪して役作りに没頭してくれました。『こんな短い髪にするのは何年ぶりだろう』と話していましたね」  映画の最大の見どころは、柳楽、三浦、有村の3人がそろった「海のシーン」だ。

 幼なじみの3人が食料の買い出しに行くと、帰りのバスのエンジンが故障してしまい、野宿をすることになる。裕之(三浦)は一切口には出さないものの、戦地での体験が心の深い傷となり、トラウマ(心的外傷)を抱えていた。翌朝、海へ行った裕之はその恐怖心にさいなまれ、海の中へ無意識に引き込まれてしまう。それを修(柳楽)と世津(有村)の2人が必死で止めるというシーンだ。  撮影は、京都府京丹後市の日本海に面した海岸で行われた。その時の撮影秘話を黒崎氏はこう語る。 「夜明けのマジックアワーの一瞬を狙って一発本番で撮ろうと決めていました。スタッフは、まだ真っ暗な午前2~3時に宿を出発し、海岸で準備万端で待ち受けていました。ただ、朝の空気、風向き、演者が海の中に入っていく感触次第で、どう変わるかわからない。一瞬にかける緊張感がありました」

 カメラは1台だけ。3人をずっとワンカットでひたすら撮り続けた。 「俳優が全身全霊で演技しているのに、たくさんのカットで切っていくとつまらなくなる。カメラも1台だけのかぶりつきで、ドキュメンタリーを撮るような手法でした。現場で生まれたリアリティーを感じてほしいです」  撮影時はまだ新型コロナウイルスの感染拡大前だったこともあり、撮影の合間に、黒崎氏は三浦さんと、京都市の居酒屋で酒を酌み交わしたという。 「春馬君とは、京都市の祇園から鴨川近くの木屋町通り付近で、何度か一緒に飲みました。春馬君は日本酒を飲んでいましたが、いくらでも飲めそうな感じでした。彼はお酒も好きだし、料理にも詳しい。食べ物についてもいろいろと話した記憶があります。私もお酒が好きだから、あんまり飲み過ぎると、プロデューサーから電話で『翌朝早いんですよ、いいかげん、帰って来てください』と怒られたものです」  2人で飲みながら、演技論にも花が咲いたという。 「春馬君は軍人の役だったんですが、映画では戦場が描かれるわけではない。一時帰還して故郷に戻り、家族と過ごす日々が描かれています。春馬君は、そんな日々がいかに大事かということを言っていました。また召集されて、軍隊に戻るんだから、一日一日、限られた日々を大切に生きるということ、家族や幼なじみとの何げないやさしい時間がどのくらい大切かということが伝わるように演じたいと言ってくれました。僕としては、とても心強かったです」  役者としての三浦さんを、黒崎氏はこう評価している。








地元でも愛され続けるのです!!(*´艸`*)
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茨城新聞の記事











私もそろそろマト君に再会したいよぉ~!